人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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伊藤市五郎(年齢不明) |
(イトウ/イチゴロウ) |
男 |
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出典 |
郵便報知 明治17年08月12日 郵便報知 明治17年08月07日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治0年0月0日 | 横浜重 | |
明治17年(月日不明) | 大審院 | |
明治17年8月6日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治17年12月12日 | 執行なし | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 | 自由灯新聞明治17年12月14日記事にて「大審院へ上告せしところ同院にて之れを審理し原裁判は擬律錯誤の廉あるを以て破棄の上更に横浜重罪裁判所へ移つされ居りが一昨日七時同所未決監中にて病没せしとは自然の死刑」とあり、病死と確認 |
出典 |
自由灯 明治17年12月14日 |
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判決日 |
裁判所 |
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未執行 | 横浜重 | |
明治17年(月日不明) | 大審院 | |
明治17年8月6日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治17年12月12日 | 執行なし | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 「死刑の宣告せられしを不法なりとし大審院へ上告せしところ同院にて之れを審理し原裁判は擬律錯誤の廉あるを以て破棄の上更に横浜重罪裁判所へ移つされ居しが一昨日午前七時同所未決監中にて病没せしとは自然の死刑」とあり、東京重にて死刑判決後、大審院上告し現裁判破棄し横浜重に移されるが、明治17年12月12日病没 | |
備考 | 東京重の判決日は読売M17/08/07記事から引用 |
出典 |
読売 明治17年08月07日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治0年0月0日 | 横浜重 | |
明治17年(月日不明) | 大審院 | |
明治17年8月6日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治17年12月12日 | 執行なし | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 東京重罪裁判所での死刑判決時の年齢28年 「刑法第四百二條放火罪に依りて死刑に処すと昨日宣告になりました」 死刑判決確定前に病死 | |
備考 | 自由灯新聞明治17年12月14日記事にて「大審院へ上告せしところ同院にて之れを審理し原裁判は擬律錯誤の廉あるを以て破棄の上更に横浜重罪裁判所へ移つされ居りが一昨日七時同所未決監中にて病没せしとは自然の死刑」とあり、病死と確認 |
出典 |
時事 明治17年08月08日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治17年8月6日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治17年12月12日 | 執行なし | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 記事では死刑の執行を確認できず 「路傍に三軒の家屋あると見認め之に放火して衣類九品を奪いたる科」 | |
備考 | 原本は「第三期重罪裁判所の公判」とあり 自由灯にて明治17年12月12日病死と確認 |