人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

松田克之(年齢不明)

(マツダ/カツユキ)

 

出典 自由灯 明治18年06月28日 
自由灯 明治18年06月26日 
自由灯 明治18年06月25日 
自由灯 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京) 秋月典獄、大串副典獄、平松検事、真山書記、その他海軍監獄署長、鍛冶橋監獄分署長等各官吏
様子 「絞台の梯級に登りし時氏は其の○眼を紙もて掩われたれば幾級登りて其の最上頭に達するかを知らざるべしと押丁の注意して側より今一級登るべしと云いつつ徐かに絞台の上に登り了りしや否や驀然として絞縄一結氏が鼻口より迸射し来りし淋漓たる鮮血と共に身体忽まち垂下し氏は遂に三十年五箇月を一期として該刑場の鬼と化したり」
失敗の状態
その他 「遺骸をその同郷人なる永井為二郎、・・・の三氏が翌二十六日四谷伝馬町なる永井氏の宅へ引取り谷中の墓地へ埋葬されたる・・」
備考 ○字は判読困難 裁判所は明治18年6月30日の赤井景韶の記事にて確認
出典 日本立憲政党 明治18年06月30日 
日本立憲政党 明治18年06月23日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京) 東京重罪裁判所検事平松時厚氏、書記眞山綾人氏、秋月典獄、大串副典獄等
様子 「克之は午前九時獄衣にて假監(かりかん)より出され従容として絞台に上り式の如く執行を受け終りしと云う又同人の死躰引取の事は本人より同府下本郷四丁目二番地三河屋事越村はる木村致英外二人の内に引取を依頼し度旨出願に及びたる~」
失敗の状態
その他 「窃盗脱監逃走謀殺氏名詐称囚徒隠避等」 「去る十五日、死刑短期願と題する一書を其筋へ差出し、一日も早く死刑執行の儀を願出たる由」(明治18年6月23日)
備考 「俳優寺嶋清(菊五郎)は死刑執行の模様を一覧致し度くよし願出たりという」とあるが、読売/M18/06/26ではにより、立会っていないと判断
出典 郵便報知 明治18年06月14日 
郵便報知 明治18年06月11日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 上告せず(明治18年6月14日記事) 「赤井景韶松田克之の宣告文は本日の公判欄に掲げたれば其詳細を知られよ」(明治18年6月11日記事)
備考 執行日、刑場は読売の記載を引用
出典 東京横浜毎日 明治18年06月25日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 「本日午前十時市ヶ谷監獄分署内に於て松田克之の死刑を執行する由」
備考
出典 読売 明治18年06月26日 
読売 明治18年06月25日 
読売 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京) 検事、判事、典獄、副典獄
様子
失敗の状態
その他 「死刑短期を願いしに付き昨日の午前九時十五分・・・死刑を執行されしが同人は生前に遺言して死体は・・・引取りを依頼・・・死刑の実況を傍観せんと彼の芸道熱心なる尾上菊五郎は市ヶ谷監獄署へ出頭せしが検事の証明なかりしかば聞届けにならざりしという」
備考 大久保利通暗殺(M11/05/14、島田一郎ら6人斬首)に連座して終身禁獄の判決を受け服役中の明治17年3月26日に赤井景韶と脱獄(村野薫『日本の死刑』拓殖書房1990年)
出典 福岡日日 明治18年07月03日 
福岡日日 明治18年06月27日 
福岡日日 明治18年06月19日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京) 東京重罪裁判所検事平松時厚氏、 書記奥山綾人氏、秋月典獄、大串副典獄
様子
失敗の状態
その他 「去る十五日死刑短期願と題する一書を其筋へ差出し一日も早く死刑執行の儀を願出てたるよし」 「前九時仮監より引出?され式の如く執行し終わりは同三十分なりし又同人所持品は金六十四銭堤灯一個紙製網袋一個なりしと此日俳優寺島清(菊五郎)より死刑執行の模様を拝見したしと出願せしかど時刻後れしかば許可にならざりしとぞ」
備考  
出典 時事 明治18年06月17日 
時事 明治18年06月15日 
時事 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年6月25日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 重罪裁判所の死刑判決後、上告せず 明治18年6月17日の記事に、「同裁判所掛り官より成規の如く右執行の儀を上申せし」
備考 執行日と刑場は読売を引用した
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