人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

赤井景韶(年齢不明)

(アカイ/カゲアキ)

 

出典 自由灯 明治18年07月30日 
自由灯 明治18年07月28日 
自由灯 明治18年07月25日 
自由灯 明治18年06月30日 
自由灯 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京) 高谷恒太郎検事、直山綾人書記、秋月良種典獄、大串保副典獄、その他数名
様子 「赤井景韶と呼出さるる声に従い同人は従容として絞台の下に来たりしが、同人は看守に向いて申す様死刑の者に目隠しをなさしむるとは未だ曾て小生が法律上に心得ぬ所なり願わくは素面の儘にて死刑の執行を受けたしとあり然れど目隠しの儀は獄則なりとのことにつき同氏も今は是非なしと白紙を以て例の如く目隠しをなし・・・刑壇に上りし体は古人が笑を含んで地に入ると申せしも斯くやと思われて観刑者を始め満場寂々として一人の咳する声だに聞えず夫れより死刑の執行となり十分間も過ぎしと覚ゆる頃同氏は其頭を左右に揺かすこと三度之を同氏が此の社会を辞する告別の記念を表し更に五分間を経て全く絶命に及び同氏は実に二十五年十一ヶ月を一期として空しく都門望郷の鬼と化し畢んぬ・・・」
失敗の状態
その他 許可を得て入場した観刑者はおよそ百余名 明治18年7月30日記事に埋葬景況あり
備考
出典 日本立憲政党 明治18年06月17日 
日本立憲政党 明治16年12月15日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 「窃盗脱監逃走謀殺氏名詐称囚徒隠避等」 「去る九日死刑の宣告を受けたる赤井景韶は管轄違いの裁判なりとて代言人元田肇氏に依頼し上告したり」(明治18年6月17日記事) 明治18年6月17日記事に、「松田赤井両氏の公判(前号の続)」とあり 明治16年12月15日記事は、公訴状のみ
備考 執行日と刑場は時事新報を引用した
出典 郵便報知 明治18年06月28日 
郵便報知 明治18年06月14日 
郵便報知 明治18年06月11日 
判決日
裁判所
明治18年7月8日 大審院
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 明治17年6月28日の記事は、赤井景韶の大審院法廷が来月2日に開廷される旨記載 「赤井景韶松田克之の宣告文は本日の公判欄に掲げたれば其詳細を知られよ」(明治18年6月11日記事)
備考 大審院判決日、執行日、刑場は読売の記載を引用
出典 東京横浜毎日 明治18年07月10日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 「一昨日大審院にて上告棄却されし赤井景韶の死刑執行を昨日司法卿より上申なりといふ」
備考 執行日と刑場は読売を引用
出典 読売 明治18年07月28日 
読売 明治18年07月25日 
読売 明治18年07月09日 
読売 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年7月8日 大審院
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京) 高谷検事、真山書記
様子 「十五分間ほど」で死亡
失敗の状態
その他 「参観を請いし者七十名ほども有りしが・・・地上を十歩ほど歩きて絞台の階子を上ると程なくガタンと云う音と共に絞台より下り・・・死体は実弟新村金十郎が下渡しを請求したり」
備考 年齢はインターネットからの情報 http://kotobank.jp/word/赤井景韶 高田事件(M16/03/20)で重禁獄9年の判決を受け服役中の明治17年3月26日に松田克之と脱獄(村野薫『日本の死刑』拓殖書房1990年)
出典 福岡日日 明治18年06月21日 
福岡日日 明治18年06月19日 
判決日
裁判所
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 「赤井景韶は其の宣言を不当なりとして同十二日夜大審院へ上告書を差出せりと」
備考 執行日と刑場は読売新聞/M18/07/28の記事を引用
出典 時事 明治18年07月28日 
時事 明治18年07月27日 
時事 明治18年07月10日 
時事 明治18年06月15日 
時事 明治18年06月10日 
判決日
裁判所
明治18年7月8日 大審院
明治18年6月9日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京) 高谷検事、真山書記、秋月曲獄、大串副曲獄
様子
失敗の状態
その他 脱監謀殺犯等 「赤井景韶氏の死刑執行を重罪裁判所掛官より昨日司法卿へ上申せし」(明治18年7月10日記事) 「死体は実弟新村金十郎及び親族池田某が引取谷中埋葬地の田母野秀顕の墓側に埋葬するという」(明治18年7月27日記事) 「赤井は掛員が晒木綿にて同人の面部を覆いたるを刑法治罪法等に明文なければ覆面は無用なりと陳述せしも制規なればとてこ○を為したる後同人は従容として絞台に上り刑に就きし」 「当日は旧自由党員大井憲太郎中島又五郎北田正薫の諸氏を始○有一館生徒等級故の者参観として出場せしもの七十名程なりし」 「同人の遺骨は兼て親族朋友の総代として出京したる小島周治氏が引取り銀座三丁目の寧静館に於て一夜通夜し本日谷中天王寺墓地へ埋葬の筈なりと云う」(明治18年7月28日記事)
備考 ○字は判読不能
出典 大阪朝日 明治18年07月31日 
判決日
裁判所
明治10~19年頃 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治18年7月27日 市ヶ谷(東京) 高谷検事、眞山書記、秋月曲獄、大串副曲獄
様子 「九時十分に死刑を執行せしが赤井は掛員が晒木綿にて同人の面部を覆いたるを刑法治罪法等に明文なければ覆面は無用なりと陳述せしも制規なればとてこれを為したる後同人は従容として絞台に上り刑に就きしとぞ」
失敗の状態
その他 「自由党員大井憲太郎中島又五郎北田正董の諸氏を始め有一館生徒等縁故の者参観として出場せしもの七十名程」 「同人の遺骸は兼て親戚朋友の総代として出京したる小島周治氏が引取り銀座三丁目の寧静館に於て一夜通夜し本日谷中天王寺墓地へ埋葬の筈なりと云う(七月二十八日時事新報)」
備考 大阪朝日/M18/07/31の記事だが、内容は7月28日付時事新報を転載しているため、執行日はその前日の7月27日になる
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