人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
|
---|---|---|---|
杉浦吉副(年齢不明) |
(スギウラ/キツプク) |
男 |
|
出典 |
灯 明治19年10月08日 灯 明治19年10月06日 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
記載なし | ||
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | 「自若として少しも神色の変ずるともなく静に拝承せりと述べ筆紙を乞うて辞世の詠歌を書き残されしは・・・参観者一同感歎せざるものなかりしと云う」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 | 刑場は執行地を記す |
出典 |
官報 明治19年10月05日 980-44 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治19年7月(日付不明) | 栃木重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年9月30日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 |
出典 |
大阪日報 明治19年10月09日 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治(年月日不明) | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 | 読み方は灯新聞の記載を引用 同日に執行された保田駒吉の執行日に関して、明治19年10月9日記事では、「去月三十日死刑を執行せられたり」となっているが、明治19年10月15日記事では、「去る五日山梨県監獄本署に於て死刑を執行せられたる」となっている。同じく同日に執行されたとされる富松正安の記事には「前号の東京通信中、毎日新聞に去月三十日千葉県監獄署内において死刑を執行されたとあるのは、同新聞の誤報」となっているので、杉浦吉副の執行日も10月5日と思われる |
出典 |
郵便報知 明治19年07月14日 郵便報知 明治19年07月06日 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治(年月日不明) | 大審院 | |
明治19年7月3日 | 栃木重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 加波山事件 | |
備考 | 読み方、執行日、刑場は灯から引用 |
出典 |
毎日 明治19年10月06日 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治10~19年頃 | 栃木重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 加波山事件 「死刑執行 先に死刑の宣告を受けたる加波山暴徒保多駒吉は甲府重罪裁判所に於て、富松正安は千葉重罪裁判所に於て、杉浦吉副は栃木重罪裁判所に於て何れも去月三十日死刑執行の命令ありたり」(東京横浜毎日/M19/10/06) | |
備考 | 死刑執行の記事(東京横浜毎日/M19/10/06)には、明確な執行日は記載されておらず、執行日、刑場は灯を引用にした。刑場は執行地を示す |
出典 |
時事 明治19年07月07日 時事 明治18年12月17日 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治19年7月3日 | 栃木重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 記事では死刑の執行の確認できず 加波山事件 「栃木重罪裁判所が其管轄違の申立に対し判決したる言渡を不当として大審院に上告したるに同院に於て棄却されしを以て○又同院へ哀訴に及し処昨十六日又其哀訴をも棄却されたり」 | |
備考 | 氏名の漢字は「杉浦吉福」とあるが、官報記載の「杉浦吉副」に従った 執行日と刑場は灯の記事を引用 ○字は判読不能 |
出典 |
日本死刑史 明治58年08月20日 660~661 |
|
---|---|---|
判決日 |
裁判所 |
|
明治19年7月3日 | 栃木重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治19年10月5日 | 栃木 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 加波山事件 | |
備考 | 氏名の漢字は「杉浦吉福」とあるが、官報記載の「杉浦吉副」に従った 裁判所は「東京重」とあるも栃木重の誤り。事件発生日、執行日は『日本の死刑』(村野薫 柘植書房 1990年)211頁より引用。刑場は灯を引用 |