人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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加藤太次郎(49歳) |
(カトウ/タジロウ) |
男 |
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出典 |
毎日 明治20年05月24日 毎日 明治19年07月06日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治(年月日不明) | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 秩父事件 管轄違い(東京重が宣告)。一緒に裁判を受けた高岸○作も同様に管轄違い。弁護人より、予審は前橋だったが正統の管轄は埼玉県即ち浦和裁判所であると申立あり | |
備考 | ○字は「国」の旧字にも見えるが判読困難 |
出典 |
官報 明治20年05月31日 1174-300 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治19年12月(日付不明) | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 |
出典 |
大阪日報 明治19年12月07日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治19年12月1日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 秩父暴徒の一人 | |
備考 | 執行日は官報を引用 |
出典 |
郵便報知 明治19年12月03日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治19年12月1日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 秩父事件 | |
備考 | 執行日と刑場は読売を引用 |
出典 |
読売 明治20年05月24日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治20年(月日不明) | 大審院 | |
明治19年12月1日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 市ヶ谷(東京) | 岩田武儀検事、中石伝高書記等 |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 秩父事件 「暴徒蜂起の際・・加藤太治郎は是が巨魁となり同十一月四日に・・取り鎮めの為め出張したる群馬警察署詰の警部・・と戦い・・深傷を負わせ遂に死に致したる科で同人は昨年十二月一日東京重罪裁判所にて死刑に処せられたる・・大審院へ上告及び哀訴したるも趣意立たずして棄却」 | |
備考 | 記事の氏名は「加藤太治郎」となっているが、官報の記載に従って「加藤太次郎」とした 秩父事件の発生日は明治17年10月31日(村野薫『日本の死刑』拓殖書房1990年) |
出典 |
時事 明治19年12月03日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治19年12月2日 | 東京重 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治20年5月23日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 記事では死刑の執行を確認できず 秩父暴徒の死刑 | |
備考 | 氏名は加藤藤太郎となっているが、官報の記載に従った。執行日と刑場は読売から引用 |