人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

斎藤甚吉(27歳)

(サイトウ/ジンキチ)

 

出典 読売 明治29年09月15日 
判決日
裁判所
明治29年6月11日 根室地
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治29年9月3日 根室(北海道) 憲兵五名、巡査六名、警察署長警部、松山検事正、竹田監獄長、教誨師岡野覚心教誨師、菊地獄医、獄丁看守係員
様子 一言の懺悔を為さんことを望み、許可を得て刑台上に坐して懺悔を述べ、続いて絶命の句として和歌三首を詠む 「其口吟終るや台下の釣索に刑手の手の触るるを見る間に堅板忽ち開けて絞索忽ち下り彼は台下に垂下されたり斯くて絞台に縊せられて微動すること幾回苦しきか楽しきか人は知らず五分間にして全く息絶えて斎藤甚吉は遂に現世の人にあらずなりぬ」
失敗の状態
その他 検事の認許を得た参観者三十名あり 「先ず絞首場の模様を述べん」として、「・・絞首台は、六本の柱礎に支えられたる長さ一間半幅一間余の堅牢なる手摺ある木台にして左右両側の中央なる柱は太くして且つ高く台上に貫き其上に梁木ありて梁上より二條の綱索垂下せり問わずして其絞首の料たることを知る台の高さは一間余台前に九階の梯子あり剣の山を登りつむれば台の中央に三尺四方の切目ある堅板ありこの板台こそ即ち人間の俎にして一條の一條の釣索断ゆると共に其板はギイガタンと音すると同時に忽ち地獄の門は開いて在罪人は即ち柱梁にかかれる綱索に釣られて三寸息絶え万事休す絞首台は蔽うに二間四方高さ三間許の屋根を以てせり台は南向にして台前に三間余の空地あり庭前に荒莚を敷き手桶柄杓の備あり」 懺悔内容「余は罪という罪、悪事というあらゆる悪事を犯せり、父母の大病の際も曾て其家に近づきことさえなく兄弟にも親戚にも人道を尽せし事なく常に彼らを苦しめし・・・死は元より当然のみ余は畏れ多くも天皇陛下の大命に依って宣告施行せらるるこの極刑に対して怨言を発すべき理由を有せず、余が如き大悪人の一人を殺すは他の平和なる四千余万人の生命財産を保全する為にして其死に当するは元より当然のみ何人も怨む所なし・・・」 和歌三首「父母の智恵と慈悲とに照されて迷の道を今ぞ忘れん 世の中に振り捨てられし罪人も救ひくださる弥陀のお慈悲は 待ち受けし誓の船に乗せられて漕ぎ行く方は弥陀の浄土に」
備考
出典 官報 明治29年09月12日 3964-121
判決日
裁判所
明治29年6月11日 根室地
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治29年9月3日 刑場不明
様子
失敗の状態
その他
備考
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