人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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酒巻屋寿(年齢不明) |
(サカマキ/ヤス) |
女 |
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出典 |
読売 明治32年03月30日 読売 明治31年10月05日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治30~39年頃 | 大審院 | |
明治31年10月4日 | 東京控 | |
明治30~39年頃 | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治32年3月29日 | 市ヶ谷(東京) | 控訴院畔柳富五郎検事、典獄、警察医、裁判所書記等 |
様子 | 「前後動乱して半狂人の如き姿となれるやすは死を惜みて非常に立騒ぎ立会諸員も持て余したる」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 「長男傓之助とともに良人殺しの大罪を犯して死刑の宣告を受け爾来控訴上告等あらゆる手段を尽くし・・先頃大審院に於て上告を棄却されしを以て東京控訴院に於ては法律の規定に従い一件書類を纏(まと)めて司法大臣に具申中なりし処一昨日に至り死刑執行の命令ありしに付き昨日遂に之を執行することとなり午前六時二十分・・市ヶ谷監獄に移す旨を申渡したるにやすは早くも死刑の執行を悟りわっと泣き伏して獄を出づることを拒みたるが遂に獄丁に引出れ囚人馬車に乗せて市ヶ谷監獄の刑場に送り・・・」 | |
備考 | 記事は氏名を「坂巻やす」と記載するが、官報記載の「酒巻屋寿」とした |
出典 |
官報 明治32年03月31日 4721-554 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治31年10月4日 | 東京控 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治32年3月29日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 | 坂巻やす事 |
出典 |
日本死刑史 明治58年08月20日 666~667 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治31年11月24日 | 大審院 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治32年3月29日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | 「半狂乱となり掛員立会議員も持て余したという」との記載 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 夫佐藤孫次郎(40歳)を殺害。共犯は息子偏之助(15歳)。偏之助は有期徒刑。15年 | |
備考 | 氏名は、資料には「酒巻ヤス(サカマキ/ヤス)」とあるが、官報の記載に従った |
出典 |
朝日 明治32年03月30日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治30~39年頃 | 大審院 | |
明治31年10月4日 | 東京控 | |
明治30年11月18日 | 東京地 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治32年3月29日 | 市ヶ谷(東京) | 東京控訴院畦柳富五郎検事、平川福馬書記、豊野典獄、堀○水医師 |
様子 | 「同人は嘗(かつ)て其公判の際にも記しし如く予(かね)てより繰狂を装う風あり死刑執行の事を聞かせなば如何ほどに騒ぎ立つるやも図り難きを以て同日午前六時三十分鍛冶橋監獄署より欺騙して囚車に載せ市ヶ谷監獄署へ連来りし所同人は早くも死刑執行と覚りけん俄に狂い出(い)だせしを辛くも慰め賺して囚人溜所へ待たせ置きしがやがて九時少しく前に至り・・・諸氏立会にてヤスを呼出し死刑執行の旨を言渡せしにヤスは果して大いに狂い出し居丈高になりて人々を睨めまわし何です死刑ですと何故妾(わたくし)が死刑にされます孫次郎を殺したのは先達も申上げました通り妾ではなく八幡で御座いますよ夫(それ)何だ探偵めが人を欺騙してこんな処へ連れて来やあがって殺すというのは全体何という事で御座います妾は死ぬのは嫌で御座いますよと暴れ狂うを漸くに取鎮め絞首台へ昇らせて同九時二十分より着手し同五十三分に至り・・」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 小岩村の絞殺事件 死体は親戚の石川宇兵衛へ引き渡す | |
備考 | 氏名は官報の記載に従った ○字は判読困難 |