人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

黒田水精(年齢不明)

(クロダ/スイショウ)

 

出典 読売 明治32年04月13日 
読売 明治32年02月05日 
読売 明治31年12月18日 
判決日
裁判所
明治32年3月3日 大審院
明治31年12月18日 名古屋控
明治(年月日不明) 名古屋地
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治32年4月12日 名古屋(愛知)
様子
失敗の状態
その他 「妻華尾とともに従弟・・を殺して金を奪いし・・僧侶黒田水精は昨年死刑に処せられ爾来控訴上告等・・尽せしも遂に・・死刑の執行を受けたる由・・但し同人妻華尾の死刑執行期日は未だ決定せずと、彼の小岩村事件といい松平紀義といい追々悪人の始末が出来たり」
備考 原本氏名の○の漢字は米偏に靑と書く 氏名の読み方は「クロダ/スイセイ」とルビがあるが、朝日の「クロダ/スイショウ」とした。妻の黒田華尾(クロダ/テルオ)も同日に処刑(朝日)。本件に関しては朝日が正確と思われる。黒田夫妻の死刑執行は官報に記載されていない    
出典 日本死刑史 明治58年08月20日 665~666
判決日
裁判所
記載なし
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治32年4月12日 愛知
様子 「絞首十三分にて息が絶えた」
失敗の状態
その他 水精は尾張国海西郡八輪村の大谷派西導寺の住職。水精夫妻の遺体を引き取る者はなかった
備考
出典 朝日 明治32年04月14日 
朝日 明治32年04月13日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治32年4月12日 名古屋(愛知) 新田検事(控訴院検事)、榊原書記、千頭典獄、看守長、司獄官、監獄医
様子 「水精は腰起ず辛うじて登壇し待て下さいと繰り返し念仏を唱え十三分間にして絶息」 「第一に看守、黒田水精の独房に至り水精に対い看守長が少しく用事あれば此方へ来れと新しき下駄を与えて監より連れ出し書信室の前に抵るや降雨ますます烈しくなりしかば笠と雨覆いを与えしが水精は茲(ここ)に初めてハテナと勘付きて稍(やや)逆上せしものの如く頻りに小声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を唱え刑場四五間を距る処に至りしに千頭典獄は水精に対し之れより其方の死刑を執行するなりと申渡し同時に白布を以て其両眼を蔽い草履を与えて之れを穿てと差つけしも水精がブルブルと震えて立すくみ容易に起たせんとせざりしかば看守押丁等は之れを励まし絞台に登らせ首架せを当てんとせしに水精は声を顫(ふる)わし一寸待ってくださいと二三回繰り返し南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を唱え(其間一分間)間もなく絶脈したり」
失敗の状態
その他 妻の黒田華尾(クロダ/テルオ)(同日執行)が共犯 「辞世様の歌数首と法名を郵送せし今其一二を記せば 花も散り春も暮れ行く木の下に いのちもつきぬ入相のかね さかりなる花の姿もちりはてて あはれに見ゆる春の夕ぐれ 正今離刹那栄耀 将来期永却面目 婆婆有容出火宅 安養無若遊冷殿    法名 水精山院釈大信 正覚院釈尼華士」
備考 原本氏名の「精」は米偏に靑と書く 刑場については、記事に「十二日名古屋特発」、「本県監獄署にて」とあったので、名古屋(愛知)とした。官報には記載なし
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