人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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ロバートミラー(年齢不明) |
(ロバート/ミラー) |
男 |
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出典 |
読売 明治33年01月17日 読売 明治32年12月24日 読売 明治32年09月08日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治32年12月22日 | 大審院 | |
明治32年10月14日 | 東京控 | |
明治(年月日不明) | 横浜地 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治33年1月16日 | 市ヶ谷(東京) | 控訴院平沼騏一郎検事、石井書記、豊野胤珍典獄、堀義永監獄医務長等 |
様子 | 「言い遺す事あらば何事にても陳述すべき旨告げたるに同人は泰然として更に未練らしき挙動なく且つ遺言もなしと答え九時三十四分執行台に上せられ僅か十分間にして同四十四分全く執行を終りたり」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 米国人 「死刑の宣告を受けて以来控訴上告を経て遂に弁護人より減刑恩典請願書を差出したるも素より採用の限りにあらざれば司法大臣の認可を経て愈々昨日・・死刑を執行せらるる事に決定し昨朝看守長第二課長神尾虎之助氏は同人を引出して行刑の事を申渡し平日は一回にパン四十目づつを与えたるを昨朝に限り一斤を与え牛肉其他種々の食物をも与えしがミルラーは別段驚きたる様子もなく平素の如く緩々食事を為し・・・市ヶ谷監獄署に入りたり」 | |
備考 | 記事は氏名を「ミルラー(ミルラー)」と表記するが、官報記載の「ロバートミラー(ロバート/ミラー)」とした。控訴院名は記載なし |
出典 |
官報 明治33年01月18日 4961-182 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治32年10月14日 | 東京控 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治33年1月16日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 |
出典 |
日本死刑史 明治58年08月20日 669 |
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判決日 |
裁判所 |
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記載なし | ||
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治33年1月16日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | 治外法権回復後、不平等条約を締結していた国の国籍を持つ外国人に対する初の処刑 | |
備考 |
出典 |
朝日 明治33年01月17日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治(年月日不明) | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治33年1月16日 | 市ヶ谷(東京) | 検事平沼騏一郎氏、石井書記、市ヶ谷署典獄豊野嵐珍、同医務長堀義水(ぎすい)氏等 |
様子 | 「ミラーは看守に導かれ泰然と歩み寄り手自から絞台の上に上り九時四十分を以て刑に就き同五十分に至り全く絶息したるが今日まで斯(か)く悠々死に就きしものを見ずというミラー当日の服装は監獄給与の浅黄木綿の上衣に黒羅紗の洋袴(ズボン)を穿ちたるが死相を見らるるを愧じ刑場も特に黒木綿を以て腰以下を蔽い○(かこ)みたり」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 米国人。不平等条約を結んだ国の国民に対する初めての死刑執行。哀訴棄却。死刑執行の前日に処刑の告知を受け、エバンス牧師の教誨を受ける | |
備考 | ○字は判読困難 |