人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

小針重雄(22歳)

(オハリ/シゲオ)

 

出典 福岡日日 明治19年10月08日 
福岡日日 明治19年08月29日 
福岡日日 明治19年07月17日 
福岡日日 明治19年07月06日 
判決日
裁判所
明治10~19年頃 大審院
明治19年7月3日 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京) 検事、書記
様子
失敗の状態
その他 加波山事件 東京重、栃木、甲府での判決後、それぞれ上告(明治19年7月17日) 「横山信六、三浦文治、小針重雄、琴田岩松、富松正安、保田駒吉、六名の死刑執行は其筋より目下司法大臣へ伺中なりと云う」(明治19年8月29日) 本文では上告棄却 明治19年10月8日の記事に執行について載っているが、記事の最後に「本年十月二日時事新報」とあるので、執行日は19年10月2日とした
備考 以下のサイトに小針の年齢の記載あり (http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/kabasanJiken.htm)
出典 官報 明治19年10月05日 980-44
判決日
裁判所
明治19年7月(日付不明) 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年9月30日 刑場不明
様子
失敗の状態
その他
備考
出典 大阪日報 明治19年10月12日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他
備考
出典 郵便報知 明治19年10月02日 
郵便報知 明治19年08月13日 
判決日
裁判所
明治19年8月12日 大審院
明治(年月日不明) 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 加波山事件
備考
出典 灯 明治19年10月03日 
灯 明治19年10月02日 
判決日
裁判所
記載なし
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京) 山田喜之助検事、書記、吉田典獄
様子 辞世の詠吟あるが、内容は詮議の上として記載されず
失敗の状態
その他 加波山事件 「死刑の一覧のため来りしは綿貫警視副総監等八十余名入場」 「当日はいかなる都合にや最初九時の執行なりと評ありし故其積りにて出掛けたる新聞社の探訪及び其他の参観者は何れも間に合わずして実見するを得ざりし者多かりし」 遺体は親戚故旧が正午頃引取り、翌三日に谷中墓地へ埋葬
備考 読み方は「小針重雄(オバリ/シゲオ)」とも読めるが、読売の記載を引用 執行命令日は、明治19年10月6日富松氏らの執行記事にて「去る三十日東京の分と同時に司法大臣より命令せられし」とあり、9月30日と判断した
出典 毎日 明治20年01月08日 
毎日 明治19年10月03日 
毎日 明治19年10月02日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 大審院
明治19年7月3日 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京) 吉田典獄、山田検事、長谷川書記
様子
失敗の状態
その他 加波山事件 「さきに加波山事件に付死刑の宣告を受け後大審院へ哀訴に及びたるも終に棄却せられたる三浦文治、琴田岩松、小針重雄の三名は彌よ本日市ヶ谷監獄署の於て死刑に行はるるといふ」(東京横浜毎日/M19/10/02) 「午前八時五十分市ヶ谷監獄署に於て死刑に行はれぬ」(東京横浜毎日/M19/10/02)
備考
出典 読売 明治19年10月03日 
読売 明治19年10月02日 
判決日
裁判所
明治19年7月(日付不明) 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京) 綿貫警視副総監及び警視官数名、山田喜之助検事、長谷川巳喜馬書記、吉田六蔵典獄等
様子 「十五分間」で死亡
失敗の状態
その他 加波山事件 立会者を入れて七十名余の参観者あり 「遺体は親族有志者等にて牛込区市ヶ谷薬王寺前町の長厳寺へ引取り今日午後三時同時を出棺谷中天王寺の墓地へ埋葬」
備考 加波山事件の日付は、明治17年9月23日(村野薫『日本の死刑』拓殖書房1990年)
出典 時事 明治19年10月04日 
時事 明治19年08月18日 
時事 明治19年07月05日 
判決日
裁判所
明治19年7月2日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京) 山田検事、長谷川書記、吉田曲獄等、綿貫警視副総監其他警視官等
様子
失敗の状態
その他 加波山事件 「横山信六外五名の上告は過日棄却され其哀訴の期日も経過したるを以て東京重罪裁判所検事より右被告の内同裁判所にて死刑の宣告を受けたる横山、三浦、小針、琴田四名の死刑執行の儀を司法大臣に上申したる由にて右允可次第市ヶ谷監獄分署に於て執行する都合なりという」(明治19年8月18日記事) 「午前七時過鍛冶橋監獄本署より市ヶ谷監獄分署に護送され…形の如く順次絞台に於て死刑を執行し…又右三氏の屍体は旧自由党員加藤平四郎、小藤俊吉両氏が市ヶ谷薬王寺前町長慶寺に引取り昨日午後三時より谷中天王寺内横山信六氏の墓側に埋葬」(明治19年10月4日記事)
備考
出典 日本死刑史 明治58年08月20日 660~661
判決日
裁判所
明治19年7月3日 東京重
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治19年10月2日 市ヶ谷(東京)
様子
失敗の状態
その他 加波山事件
備考 裁判所は「千葉重」とあるも官報の記載により東京重の誤り。事件発生日は『日本の死刑』(村野薫 柘植書房 1990年)211頁より引用。執行日、刑場は読売を引用
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