人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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大寺ヌイ(49歳) |
(オオデラ/ヌイ) |
女 |
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出典 |
朝日 明治38年08月26日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治37年5月27日 | 大審院 | |
明治37年3月22日 | 大阪控 | |
明治(年月日不明) | 大阪地 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治38年8月23日 | 堀川(大阪) | 西内検事、町田書記、鈴木典獄、那須教誨師、看守四名 |
様子 | 18分間にて死亡 「鈴木典獄の宣告あり那須教誨師は懇ろに教誨したる後看守四名は左右より助け教誨師は手を執りて刑場に引入れ那須教誨師の手より末期の水の一滴を口に注ぎ入れぬ、ぬいは盲縞木綿の単衣(ひとえ)に白○の汗取襦袢を着し草履を穿ち居たるが足掛け三年牢獄に繋がれし割合には更に衰弱の様子なかりき即(やが)て台上に導かれしとき看守は彼れを慰めて『お前の手は確かに教誨師に握られて居るよ』と言いしに彼れは弥陀に導かれし如き心地したるにや『難有う』の一語を漏らし続いて『妾(わたし)は死は覚悟の前ですが家の事が……』と微声(こごえ)を発したるを此の世の最後として執行は始まり七時五十分より十八分間を経し八時八分に絶息」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 情夫と共に夫を殺害。上告棄却後、再審の請求をなすが却下 「死体は制規に従い相続人大寺亀太郎より引取手続を為すべしとの事にておぬいの遺言状も生前認めありしという」 「姦夫義則は心臓病にて余程重患の容体なれば今直ぐに執行する能はざるも何れ遠からず絞首台に登るならん」 | |
備考 | 資料には「大寺家の娘おぬい」と記載があり、「大寺ぬい」の表記も考えられるが、官報の記載に従った。一審は記載がないが、大阪市内の事件なので「大阪地」と推定。二審については「当控訴院」との記載があり「大阪控」と推定。執行日は「朝日/M38/08/26」に「一昨日」とあり、「M38/08/24」と判断できるが、官報記載の「M38/08/23」に従った ○字は判読困難 |
出典 |
官報 明治38年09月05日 6656-113 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治37年3月22日 | 大阪控 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治38年8月23日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 |