人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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松岡政吉(21歳) |
(マツオカ/マサキチ) |
男 |
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出典 |
朝日 明治39年03月19日 朝日 明治39年03月18日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治38年4月8日 | 宮城控 | |
明治30~39年頃 | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治39年3月17日 | 仙台(宮城) | 深見検事等 |
様子 | 辞世を詠む 「其際政吉は毫(ごう)も憶する色なく教誨師の言を聞きて辞世めきたる左の二首を詠じたり 死するとは如何なることを云うならん 毎夜眠ると変わることなし 渋柿も取って棄つれば益(えき)もなし 干したる後の風味見られよ」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 強盗殺人。被告の住所は「奈良県奈良市薬師堂町」 「又彼は仙台分監に在監中深く先非を悟り『宝よせ』と『三年余』と題する二冊子を書し凡(すべ)て自身に感じたる事は直写せしが中には政治家を罵倒したるものあり幽霊の出現を描けるものあり良心の呵責を受けたる跡歴々たるが此冊子を奈良市豆(づ)山田村常吉宛に送付せられたき旨看守長に請求せりと」 | |
備考 | 明治39年3月18日の記事は、氏名を「松岡松次(マツオカ/マツジ)」、執行日をM39/03/18とするが、3月19日の記事や官報の記載に従った。本来は東京控の管轄のはずであるが、宮城控の管轄となっている |
出典 |
官報 明治39年03月22日 6815-682 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治38年4月8日 | 宮城控 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治39年3月17日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 |