人物詳細
明治
氏 名 (享年) |
(フリガナ) |
性別 |
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武林男三郎(年齢不明) |
(タケバヤシ/オサブロウ) |
男 |
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出典 |
朝日 明治41年07月04日 朝日 明治41年07月03日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治(年月日不明) | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治41年7月2日 | 東京 | 東京控訴院小林検事、大谷書記、大草監獄医、典獄代理西村看守長、教誨師二名 |
様子 | 「此日彼は死装束として予て準備せし白帷子(しろかたびら)を着し白足袋を穿(はき)たるが獄中にて自ら製作せる例の紙捻(こより)の巻煙草入一個を娘君子に送られん事を求めたる外二三通の遺書ありしが別に遺言はなく件(くだん)の煙草入には『不幸の男三郎』と記しある由」 「昨午前九時監獄より引出され・・同三十七分というに絞首台に上り、同五十三分全く絶命せり」 15分間で死亡 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 「男三郎は死に対する観念の原稿も書き終り八時半頃齋藤弁護士訪問せるを以て典獄立会の上面会を許せしに男三郎は死の前に居ることを忘れたる如く落着きて今迄深き同情を受けたる礼を述べ唯心残りの一事は娘きみ子の将来ですが何卒御尽力を願いますと哀願し齋藤弁護士も其事ならば既に花井、小川両弁護士と相談して置いたから安心するが好いと答えしに男三郎は満面に笑を浮べてモウ心掛りはありませんと齋藤弁護士に握手して最後の別れを告げたり」 「齋藤弁護士は此時男三郎に向って他の犯罪も此の際自白した方が好かろうといいしも男三郎は全然之を否認し尚死刑に処せられるのは巳むを得ないが衷心毫も愧(は)ずる所がない、他の強盗殺人犯などと一緒に取扱われるのが唯一つの遺憾であると嘆じたりと又別れる時齋藤弁護士が辞世はと尋ねしに辞世の数種は拝借した洗心洞剳記(どうさつき)の中に挟んで置きましたと言いながら更に頭を傾けつつ『惜しからぬ……』と最後の辞世を詠ぜんとせしも既に時間も迫りたれば其後を言出る遑(いとま)なかりき」 「男三郎は刑の執行前○助松(すけまつ)、某新聞社員其他知人にあてて四五通の遺書を認め娘きみ子には不幸なる男三郎より君子様と書いた桐箱に手製紙綯(こより)の巻莨(たばこ)入を入れ更に哀別の手紙を添えて之を届けるように看守長に頼み尚自分所持の書物十数冊(源平盛衰記、新約全書、近松浄瑠璃集、名家詩集、樗牛全集、仏陀の教訓其他)を知人に分配することを依頼し改めて典獄に向い在監中の礼を述べて静かに刑の執行を待ちたり」 「男三郎は当日経帷子を着る心算(つもり)にて之は予て前記の三弁護士が用意し置く筈なりしが突然の通知に間に合わず巳むなく浅黄色五ツ紋の帷子に白金巾(しろかねきん)の兵児帯(へこおび)を締め特に典獄の好意に依って縄を解かれ九時半頃少しも悪びれず従容として絞首台に上れり」 | |
備考 | 資料では、氏名は「野口男三郎(ノグチ/オサブロウ)」となっているが、官報の記載の「武林男三郎(タケバヤシ/オサブロウ)」とした ○字は判読困難 |
出典 |
官報 明治41年07月07日 7508-164 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治40年7月23日 | 東京控 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治41年7月2日 | 刑場不明 | |
様子 | ||
失敗の状態 | ||
その他 | ||
備考 | M40/10/10(確定日) 野口男三郎事 |
出典 |
読売 明治41年07月03日 |
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判決日 |
裁判所 |
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明治(年月日不明) | 大審院 | |
明治39年5月16日 | 不明 | |
執行日 (命令日) |
刑 場 |
立会者名 |
明治41年7月2日 | 市ヶ谷(東京) | |
様子 | 「十五分で絶命」 | |
失敗の状態 | ||
その他 | 「詩人野口寧斎殺し及び臀肉切取事件の嫌疑者にして薬種屋都筑富五郎殺しの犯人として前後四年間天下の耳目を・・・上告却下せられて死刑確定したる後は東京監獄内にいと神妙に執行の日を待って居た・・・『死刑執行』と云う一言を耳にしたる其の瞬間ピクリッと身をふるわせて少く顔色を変じたッ限り直様旧の如く平然たる態度に復した男三郎が情を抑えるに巧みなのは殆んど天賦とも云うべき・・・『私は予て時事新報から臨終の時の覚悟に就て五カ條程の問題を提供されて居るし且一二の友人にも手紙を書き度いから暫時猶予を願います』と述べて許可を受け直に筆を採って手紙を書いた・・・男三郎は此の世の名残りの食納めに飯粒一つ残さず食って・・・『私が読み古した書物が沢山あります之れを・・親戚知己に五六冊宛分けてやって下さい・・・』と頼んだ彼が獄中に在って読んだ書物というは『宇宙観』『婦人問題』『霊か肉か』・・・百数十冊上もあるという・・・」 「男三郎は十五分で絶命し利八は十二分にして絶息した其間実に三分の差がある利八は体量十九貫目もある肥大漢で男三郎は十二貫程の優男である然るに優さ男が大男より死ぬのに手間取れるのは一寸不思議のようだがそもそも死刑台は市谷監獄の広場の真中に穴があって其穴に自由に回転する仕掛の台があるそうして上からは首に掛る様な縄が下げてあって囚人が其台の上に立って縄に首を掛けた時に足下の台を転回して落とす機に当人の体力で縊り殺して仕舞うのである身体の重い男の方が早く死ぬわけである」 田中(神道)・伊藤(真宗)両師が教誨。藤沢典獄が当日午前8時に電話して花井・小川・斎藤弁護士の中1人が死刑執行に立ち会うよう要請。斎藤幸治弁護士が午前9時20分に到着し、執行直前に面会。刑場に入るまで見送る | |
備考 |