人物詳細

明治

氏     名 (享年)
(フリガナ)
性別
 

中川万次郎(年齢不明)

(ナカガワ/マンジロウ)

 

出典 官報 明治40年02月13日 7084-333
判決日
裁判所
明治38年12月14日 大阪控
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治40年2月1日 刑場不明
様子
失敗の状態
その他
備考
出典 読売 明治39年05月16日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 大審院
明治(年月日不明) 大阪控
明治(年月日不明) 大阪地
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治40年2月1日 堀川(大阪)
様子
失敗の状態
その他 「大阪六人斬」 上告棄却後、大阪控訴院を経て大審院へ再審願いを提出
備考 地裁の記載なし。執行日は朝日及び官報に従った。刑場は記事にて「堀川監獄内にて一日一日と生命の縮まるを待つ身」とあることから堀川と推定
出典 日本死刑史 明治58年08月20日 666
判決日
裁判所
記載なし
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治40年2月1日 大阪
様子
失敗の状態
その他 内妻の家族など5人を刀で殺害。1人傷害。自殺に失敗し自首
備考 執行日は官報の記載に従った 大阪の事件なので刑場を大阪とした
出典 朝日 明治40年02月04日 
判決日
裁判所
明治(年月日不明) 不明
執行日
(命令日)
刑 場
立会者名
明治40年2月1日 刑場不明
様子
失敗の状態
その他 大阪堀江6人斬り 「生前大阪医学校病院より解剖に附したき旨本人へ申入れしに医界に貢献するは本懐なり責(せめ)てもの罪亡(ほろ)ぼしなりとて承諾したれば去一日死刑執行後同病院へ移し翌日解剖に附したり」 「病死の遺骸を得るは稀らしからねども健全体の死骸を得るは甚(はなはだ)稀なる事にして同人は全体の脂肪豊富にして体重二十貫目以上もあり殊に腹部の脂肪は普通人の二倍あり両腕の二頭膊筋も普通人の倍程に発育し如何に力量の強かりしかを察せられ此の腕なれば一時に五人や十人殺すは楽なるべしと想わるる」 「舌は絞殺せられたる者の常として多く充血して垂下(すいか)せるに万次郎は更に其の象状なく寧ろ委縮して暗色を呈し居りぬ」 「胸部も発育盛にして胸筋の如きは普通人の倍ほど太く毎(つね)にボートレースなどを行う人の如くにて此一点によりても以前船夫(せんどう)なりしを看取せらるという」 「全体の発育日本人には稀有なるほど盛んにして其の精力の如何に強大なりしかを察し得らるるといえり」
備考
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